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冬の日に             [語られる音たち]

みなさんはクリスマスに どんな思いをお持ちですか?

私は街にクリスマス・ソングが流れ出すと
とても切ない気持ちになります。。

(その人は、静かにクリスマスのお話を始めました。。)




・・私の通った幼稚園では、クリスマスにサンタがプレゼントを持ってきてくれました。
サンタは、ホールにあった大きな煙突から登場したこともあって
私はサンタの存在を信じ切っていました。

小学二年生の頃だったか、友達に
「サンタはいないよ」
と言われ、口論になりました。
家に帰って母親に
「サンタはいるよね?!」
と聞きました。
母親は、もう小学二年なんだから、という思いもあったのでしょう、
「いないよ」
と答えたのです。

その時の衝撃は忘れられません!
確かにあった壁が ざーっと崩れ落ちていくような
世界が空気の中にくずれて行くような光景が見えた気がしました。




・・私は1枚のレコードを大切にしていました。
それは様々なクリスマスソングが入っている、
今で言うコンピレーション・アルバムです。
その中の1曲のクリスマス・キャロルが特に好きで愛聴していました。

ある時、従兄弟がそのレコードを貸してほしいと言いました。
その子は乱暴者だったので、私はちょっとイヤな予感がしたのですが
母親に
「貸してあげなさいよ」
と言われ、渋々貸したのです。

案の定、レコードは割れてしまいました。。

またあの曲が聴きたいと思い、同じレコードを捜したのですが
見つかりませんでした。

私は職業柄たくさんのCDを聴きます。
サンプルとして貰うものもあり、クリスマスのCDだけでもかなりの数を持っています。
でも、その中に
あのクリスマス・キャロルはないのです。

毎年、クリスマスが近づくと発売されるCDたち。
今年は入っているかもしれない!
と期待して聴くのですが、ありません。

私が5歳くらいの時のレコードですから、
たぶん有名な曲を集めたものだったはずです。
それなのに、あの曲は再び聴くことが出来ないのです。

幼い時の記憶なので、曲を正確に覚えていたわけではないから
もしかしたら、すでに同じ曲を聴いたのかもしれませんね。
でも、私のなかでは
あのレコードに入っていたクリスマス・キャロルは
聴けていないのです。。



こんなことから、私はクリスマスが近づくと
とても切ない気持ちになるのです。。






そんなお話の後、ご自分で書かれたエッセイをコピーして配って下さいました。
(著書か雑誌で発表されたものだと思いますが、注釈がなく不明です)




「冬の日に」

 夢は、破れるから、さらに求められるのだろう。
世界中のお父さん、お母さんたちが、子供にサンタクロースの話をしきりに伝えるのは、
自分が子供のころサンタクロースがいないと知って、夢が破れたからではないだろうか。
子供にとってサンタクロースの夢は楽しいだけだが
大人にとってのサンタクロースの夢は少し悲しいのかもしれない。

 でも、お父さん、お母さん、サンタクロースはいるのです。
なぜってサンタクロースの体験を語った物語があるのだから。

 そのサンタクロースは、プレゼントを置こうとしたところを、
ベッドで起き続けていた少年に見つかった体験を書いている。
少年は
「ねえ、パパでしょう?」
と言って、まるで信じてくれない。
「本物のサンタクロースだよ。世界中の子供たちにプレゼントを配っているんだ」
と説明しても、
「学校のみんなも、プレゼントを持ってくるのは、本当はパパなんだって言ってるよ」
と、てんから信じようとしない。
少年が自分で作ったという大きな靴下に戦車のプラモデルを入れ、
サンタクロースは本物であることを証明してみせるために部屋の壁を通り抜けて外に出た。
「本当はパパなんでしょう?パパだと言ってよ」
という少年の言葉を背に。

 外は雪が降っていた。
雪の中でそりを動かそうとして、ふと妙な気持ちになり
サンタクロースは門のほうに回ってみて、自分の額をたたいた。
雪に半分埋もれていたが、表札には明らかに
「孤児院」
と書いてあった。



 ヨーロッパのクリスマスは、12月25日に終わってしまうのではない。
マリアの光のミサである2月2日ごろまで、クリスマス・ツリーは光を灯し続けている。
年が明けたという感覚はあまりないから、
新年になっても、ふと、クリスマスがまだ来ていないような気がする人もいるだろう。
この少年も、サンタクロースを信じていないのに
靴下をまだしまっていないかもしれない。

キリストの降誕を歌うキャロルのひとつに、
クリスティーナ・G・ロセティの詩にハロルド・エドウィン・ダークが作曲した
「冬の日に」
と題するものがある。
重いオルガンの響きとともに聖歌隊が
「雪の上に雪が降り続ける」
と厳しい冬を歌い始め、さいごは無伴奏で聖歌隊の少年の声だけになる。
「彼に何を与えることができるのだろうか、貧しい私が」
と静かに響き合う透きとおったコーラスを聴いていると、
なぜか、少年の作った靴下が思いうかぶ。



In the bleak midwinter (Harold Darke) - Guildford Cathedral Choir (Barry Rose)



静かな語り口が心に残る、クリスマスのお話でした。。

この日は、他にもいくつかのお話がありましたが、
特に印象に残った、このお話を書き留めておきたかったのです。








さて、ロセティ(ロセッティ)は詩人であり、画家でもありました。
それは、あるコンサートで初めて知った事です。

→ 

これは、今年の春まだ浅いころでした。
それがこんなふうに繋がってくるとは、不思議です。


ちなみに、これと同じ詩にホルストが曲をつけたものもありますね。
でも、このエッセイはこの曲でなければならない思いが込められています。










お話をして下さった梅津 時比古さんの著書の中に「フェルメールの楽器」があります。
絵画の中で見る楽器が、どんな音色を奏でるのだろうと思っていた私を
古い音楽の世界に導いてくれた本でした。

生きていると、こうして何かが ふっと繋がり合うことがあります。
そんな不思議な 冬の日。






































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